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カミングアウト・レターズカミングアウト・レターズ
(2007/12/11)
砂川秀樹

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 僕のパートナーの砂川秀樹が、RYOJIさんと一緒に、2007年12月11日、本を出します。パートナー特権で見本誌さきどり読みをさせて貰えたので、お礼とばかりにレビューを書いてみました。

カミングアウト・レターズ 子どもと親・生徒と教師の往復書簡:RYOJI + 砂川秀樹

 とてもいい本でした。読みやすいし、クリスマスプレゼントにも、是非。
 家族へのカミングアウトを考えている方、もう済ませたけど、こんなこともウチにもあったよね、って、話し合ってみたいな、なんて考えてる方にも。オススメです。元気でるよ。

 では以下、関心空間に書いたレビュー(一部アレンジ)です。

-----いつかの、僕へ。いつかの、あなたへ。

 ゲイブロガーやってたり、関心空間のプロフィールでこそ、「でもってゲイ。」なんて軽さでカミングアウトしたり、大学の友人でもカミングアウトした相手がどんどん増えていっていたり、彼氏もいたり、レズビアン友・ゲイ友・トランス友もたくさんいたり、LGBTコミュニティのなかで作品発表もしたりしている僕ですが。未だに、ひとりに対してもカミングアウトできていない領域があります。

 家族です。

 ……まぁ、兄にはバレてるんじゃねーか、という気はしてるんですが(自分が普段使ってたPCが使えないときに、兄のPCからこっそり××××(笑)した形跡がバレて『勝手にPCを使うな!』と怒られた経験アリ)、自発的に「僕ゲイだよ」とかは言ってないので、コレはノーカウントで。
 ともあれ僕は、家族にはカミングアウトできていません。クリスチャン・ホームだから、っていうのも、理由の一端になきにしも非ず。ですが、それよりもむしろ大きいのは、両親の「孫に絵本を読んで聞かせたい」という希望、両祖母の「孫の結婚式が見たい・ひ孫の顔が見たい」という希望を、昔から浴びて育ってきたから。です。
 そしてなによりも、自分がこんなにも愛されて育てられてきたことを、心の底から実感しているから。いつか言わなきゃ、いつか言わなきゃ、と、思いながらも、言えないまま、ここまで生きてきました。

 この本には、そんな「いつか」を経験した子どもと親が、或は、生徒と教師が、自分がゲイであること・自分がレズビアンであることを語った「いつか」のことを、思い返しながらやりとりした手紙が収められています。

 この本のなかにいる誰もが、互いのことを思いやり、慈しみあい、だからこそ、苦しんでいます。
 個人的に一番泣きそうになりながら読んだのは、最初に収められている、昌志さんとお母さんのやりとり。

「母さんの顔を見たとたん、あんなにカミングアウトを願ってたのに、後悔しそうになった。母さん、動揺を隠そうとしたから、俺に見せまいとしたから、よけい本当は怯えてるんやって分かってもうた。」(昌志 p.13)

「あの時はただ、『母さん、俺、人を殺してしまった』と言われたみたいに、怖くて怖くて、ただ、あなたが壊れてしまわないように、引き止めるために聞いていた。」(母 p.21)



 自分が誰のことを好きなのか、誰と生きていくことを願うのか。
 子どもが誰のことを好きなのか、誰と生きていくことを願うのか。
 本当は、ただそれだけの話。でも、自分の/子どもの生の核にも関わってくる、大切な話。
 だからこそ、言いたい。だからこそ、言えない。だからこそ、話をしては悔やみ、話を聞いては怯える。
 それが、カミングアウトをする、ということなんだと思う。

 でもやっぱり、ただ苦しくて切ないだけが、カミングアウトする、っていうことじゃない。

「俺は気持ちを話したんやから、これからは母さんや父さんの気持ちを聞いていきたい。
 俺は受け入れてもらったんやから、もう何を聞いても大丈夫。」
(昌志 p.19)

「それから、幸せになれるよね? あなたのかたちでいい。幸せになりなさい。」(母 p.29)



 こんな自分だけど、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
 どんなあなたでも、あなたと一緒にこれからも生きて行きたい。
 そんな風に互いを想いやり、確かめ合い、新しい関係を、これまでの関係を、これからも生きていくこと。
 そのことを深く刻みこむことが、カミングアウトをする、ということなんだと思う。

 この本は、大切な誰かと一緒に生きていくことを考える本です。
 ここに手紙を書いた人たちは、あなたにとっては他人かも知れないし、あなたの家族に、或は友だちには、こういう“問題”を抱えている人は、なかなか“いない”かも知れない。
 けれども、これらの手紙は、確かに、いつかの僕へ、そして、いつかのあなたに向けて書かれた手紙でもあるのです。
 LGBT当事者の方は勿論ですが、特に、お子さんをお持ちの方・いつか子どもを育てたいと考えている方には、読んで頂きたいな、と、思います。


 ちなみにこのレビュー、発売日に先駆けて書いてます(2007.12.11.発売予定)。
 なんでかっていうと、僕のパートナーが編者のひとりで、パートナー特権・見本読みができたから。
 でも、発売されたら自分でも買おうと思います。
「いつか」の僕が家族にカミングアウトしたときに、大丈夫だよって、プレゼントするために。

//////////

「関心空間」版レビューはコチラ

↓カミングアウトを考えている方、よかったらポッチリ。
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ものすっごいタイムリーな話題だわ。
アタシも次の記事の材料として、
今自分のカミングアウトをレポートしていたから。

アタシは、昔はカミングアウトしないことを、
自分のセクシャリティを否定することなんだって思っていたりしていた。
だから、クローゼットの人に対しては、
少し嫌悪感というかずるさを抱いていたりして。

でも今の旦那が家族に留まらず、
友人までへもクローゼットで、
アタシは未だに彼の知人に会ったことがありません。

最初はそれが凄くイヤだったけれど、
一緒に時を重ねていくことで、
何だか分かってきたような気がして、今じゃ何も言いません。
彼は彼、アタシはアタシだから。

だから『したければすればいい』
これがアタシのカミングアウトへの距離感かな。
【2007/12/06 22:24】 URL | adejyo #mQop/nM.[ 編集]
カミングアウトは、ノンケの人にはまだ誰にもしたことないですよ。一番大切な人に一番できないですね、今のところ。たぶん、これからもずっとなのかもしれない、今のところ。
発売されたら買ってみますね。
て、どこで買えるのかな?
バラエティショップとかは未だに入ったことないし、ネットだと親が受け取って勝手に開封するからな。
【2007/12/07 00:54】 URL | DASS #gXNvArxQ[ 編集]
カミングアウト。難しい問題だよね。
こんな俺ですから、カミングアウト推進派だと思われていることが多いようですが、実際は上でマダムが言っているのと同じで「したければすればよい」派です。
俺の場合はカミングアウトを積極的にしてきたというだけで、みんながみんな自分と同じようにしなければいけないとは全く思っていません。
自分が生きていくのに一番都合がいいように、自分が生きていき易いようにすればいいんだと思います。自分の人生は自分で設計するんだから、という意味においてもカミングアウトするしないはそれぞれが自分でよく考えて選択するべき問題でしょうね。くれぐれも他の人の意見や世間の風潮に惑わされないように。
【2007/12/07 06:22】 URL | 龍児 #-[ 編集]
>adejyoさん
 あらー、シンパシー? テレパシー? 通じ合ってる感じがして、なんだか光栄ですぅ。

 僕は自分がゲイであるコトを異様にすんなり受け入れられた分、「まー、他の人にとってはそんな易々と受け入れられるモンじゃないよねー」というコトまですんなり受け入れてたトコがあります。
 ただまぁ、自分の生きたい方向性とか、家族のキャラクターとかを考えると、僕はこのまま言わないで生きてくのは、今迄は一応出来てはきたけど、これからは厳しいなー、と、いう感じです。

>DASSさん
 ぜひぜひ、読んでみてください。いろんな人がいるんだなーってわかって、読み物としてだけでも十分面白いので。
 紀伊国屋とかジュンク堂とか、大きい書店なら入るんじゃないかと思いますよ。
 あとは、ネットであっても、楽天ブックスだったらファミリーマート、セブン&Iだったらセブンイレブンでの店頭受け取り指定ができます。店舗も自分で選べるし、入荷のお知らせは、自分のメアドとかケータイとかにしか入らないので、親御さんに購入がバレる心配はないと思いますよん。

>龍児さん
 そうですね。僕も、他人に強要する・しないという次元においては、「カミングアウトはしたければすればよい」というところには、賛成です。

 ただ、一応セクシュアリティで社会学やってるリブガマの端くれとして、どーしても付け加えておかずに居られないのは(まず、どういう状態を以てしてクローゼット/カミングアウトとするのか、という定義をせねばならない、っていうのはあるんですが、そこはひとまず保留)、

1. カミングアウトをするリスクも、しないリスクも、第一義的には当事者が背負わされてしまう社会であるということ

2. カミングアウトをしないことを“選択”しても、その“選択”は必ずしも成功するものではない、ということ(アウティングされたり、諸般の事情で止むに止まれず突発的にカムアウトせざるを得ない状況に追い込まれる危険性があること)

 というふたつが絡まり合った状態である社会構造が存在する、ということを、併せて指摘しておかなければなぁ、と。思います。ということです。ここを前提として抑えておかなければ、「したければすればよい」という言葉は、
「したければすればよい。(カミングアウトに失敗しても、全てお前の自己責任だ)」
 にも、
「したければすればよい。(例えクローゼットを望んでいたお前がアウティングされたとしても、それは全てリスク管理を失敗したお前の自己責任だ)」
 にも、
「したければすればよい。(もしあなたがカミングアウトに失敗したとしても、私たちはあなたのサポートをするよ)」
 にも、どのようにも転び得てしまう、とても危うい言葉だな、と、思うのです。

(上記のレスポンスは、「adejyoさんや龍児さんの発言への批判/非難」というよりは、「このエントリー上でのやり取りから、『したければすればよい』というコトバだけが一人歩きしてしまったときの危険性」を考えての補足的発言である、という風に解釈頂ければ、幸いです。失礼な物言いになっていたら、ゴメンなさい)
【2007/12/08 01:04】 URL | 悠 #mQop/nM.[ 編集]
悠君の考えの中にはカミングアウトをしたくってしてみたら成功しちゃった人のことはないわけ?

カミングアウトにはリスクが付きまとうものかもしれないけど、リスクフリーのカミングアウトって全く無いんだろうか?

カミングアウトに失敗してもそれは全てお前の自己責任だ、っていうのは当たり前の事でしょ?自分の人生なんだから人に頼るものではないし、カミングアウトせざるを得ない状況に置かれた場合でも、結果的にそこまでに至る過程を作り出したのはその人本人の責任による部分が少なからずもあるものだからと俺は思います。

カミングアウトに失敗したらサポートしてあげるよというのは、よっぽどの友達じゃないといえない事でしょうね。でもカミングアウトをするにあたって他人にその後のサポートをしてもらえるかどうかを考えた上でカミングアウトという行動に至る人ってどれだけいるんだろうか?ゲイの人がカミングアウトする状況ってもっと切羽詰ったものだと思うけど?

それと、悠君はカミングアウトをすると失敗する可能性のほうが高いと思ってない?
したければすればよい、してみたら気分良くなるかもしれないよ、とか、したければすればよい、後はどうとでもなるものさ、とかいう楽天的な考え方、肯定的な考え方(オチャラケな考え方ともいうのかな)はできないもんだろうか?

あと、カミングアウトする人、した人達にある程度共通しているだろうことは、「したけりゃすればよい、人がどう思おうがそんなの知った事じゃないわよ」的な、言ってみれば尻を完全にまくった開き直り感があると思うんだけど、そういうのは考えてみた事ある?

俺はね、成功、失敗の両方の可能性が同じくらいの確立で存在すると思うよ。カミングアウトする人のその仕方によっては成功する確率のほうが高いと思うんだけど。
こんな事言うと今度は方法論のほうに話が流れて行っちゃうかな?

話の的が外れてたらゴメンね。
【2007/12/08 11:00】 URL | 龍児 #-[ 編集]
>龍児さん
 コメントありがとうございます。
 僕がここで問題にしたかったのは、「自己責任(≒したければすればよい)」という部分のみが(場合によっては不当なまでに)強調されていってしまう危険性、という部分です。

 個人的な経験としては、リスクフリーなカミングアウト経験はあるし、切羽詰まった状況でのカミングアウト経験もあるし、ある面で成功したけど別の面では失敗したカミングアウト経験もあるし、で、総じて考えると、現段階では勝率9割? みたいな感じです。なので、ふふふ~ん♪ と鼻歌まじりに、
「うん、してもしなくても、いいんじゃない? したい相手にしたけりゃすればいいのよ~♪ 案外ね、大したことなく受け入れてもらえたりするもんよ~?」
 と語ってしまえなくもないし、実際そんなようなコトを言った経験もあります(僕の場合、「でもねー、アタシにとっては、親はゲームの最終ボス、って感じなのよねー…… いつかやっつけてやるわッ!」って続くんですが)。

 で、ここまで大筋では合意したうえで、それでも僕のなかでは、「自己責任」という部分のみが(場合によっては不当なまでに)強調されていってしまう危険性、どうしても拭い去ることができないんです。
 もちろん、龍児さんの元のコメントのなかでは、『自己責任』という言葉そのものは1回も使われていないので、僕が勝手に(誤)変換して勝手に騒いでいる、という側面はあります。そこはゴメンなさい。そして申し訳ないことに、じゃあどうしてそんなにその危険性を危惧するの? という根源的な部分が、まだうまく言語化できないです。うぅ。でも自分の問題意識のなかに、「自己責任」という言葉が、現在社会的にどんな意味合いで捉えられているのか? ということに関して慎重になったほうがよい、というセンサーが働いているのは、確かです。

 なんだか尻すぼみで申し訳ないですが、とりあえずこの段階で投稿。真摯に議論して下さったことに感謝です(でも尻すぼみ)
【2007/12/08 12:51】 URL | 悠 #-[ 編集]
意地悪なオバちゃんの意地悪な視点を書いてみたのにもかかわらず真摯な回答をしてくれてどうもありがとう。
「一応セクシュアリティで社会学やってるリブガマの端くれとして」という件にビビッと反応してしまったのでちょっと社会学学生さんイヂリをしてみたくなっちゃったんです。
そうだね、カミングアウトと自己責任の因果関係をちょっと考察してみてもらえると面白いかも。俺は自己責任という言葉は使わなかったけれど「自分の人生は自分で設計する」と言ったのでココの部分が悠君の考えの中にある「自己責任」と繋がったのかもしれないね。
俺はいずれにせよカミングアウトはあくまでも自分自身の問題でありするかしないかは自分で考えて自分で結論を出せば良い事、そこに他人の意見は参考程度に受け入れても良いけれど最終的にはするしないは自分が判断する事であると思うので、カミングアウトの裏には必ず自己責任が存在している、と思います。

ごちゃごちゃとうるさい事言っちゃったね。でもこういう議論を現役の学生さんとすることができてオジサンは嬉しいです(あれ、さっきはオバちゃんって言ったのに?)。
【2007/12/08 20:38】 URL | 龍児 #-[ 編集]
>龍児さん
 いや~ん、アタクシったらもしかして、龍児オジサマのハートに火を着けちゃった? きゃっ☆

 んーと、僕があくまでもひっかかったのは、「したければすればいい」っていう言葉ですね。僕のなかのイメージでは、「したければすればいい」という言葉には、どうしても「だって自己責任でしょ?」っていう容易に言葉が結びつき“かねない”というイメージがあるんです。そしてそれが、ここで語られるカミングアウト以外の文脈においても飛び火してしまう危険性、というものを、危惧してしまうのです。

 で、「したければすればいい」という部分だけが強調されてしまうと、例えば、以下、非常に不本意な例を提示しますが(そして実は、これらの例を使わない言い方をしたかったので、ひとつ前のコメントが尻切れになったんですが)、
「カミングアウトしたければすればいいよ。それで学校でイジメられても、自己責任でしょ?」
「野外ハッテンしたければすればいいよ。それで強盗に遭っても、自己責任でしょ?」
「生堀りしたければすればいいよ。それでSTDにかかっても、自己責任でしょ?」
 っていうように、本来他の様々な要因---それはしばしばホモフォビアと強く関わっています---と密接に結びついている部分が、全て「自己責任」という言葉で片付けられ、本来問題にすべき(と僕が信じる)場所がないがしろにされてしまう危険性がある。というところが、僕は怖いんですね。
 ここでの語りの意図を離れて、誤読され、「したければすればいい」という言葉がよからぬ方向に変質していってしまう可能性(それはもしかしたら、非常に低いものかも知れません)を、指摘しておきたい。というのが、龍児さんへのコメントの意図です。と思います(何故最後に弱気になる)。

 もちろん、出来る範囲でリスク管理というか、自衛策を用意する、というのは大切なことだとは思います。また、自分自身の問題には自分で結論を出すもの、というのも、もっともで、そういう意味では、龍児さんのおっしゃることに同意です。なので、
「カミングアウトは自分の問題だから、よく考えて、するかしないか、自分で決めるんだよ? メリットもデメリットもあるからね?」
 っていう意図には同意。でもそれが、「したければすればいい」って言葉にまとめられちゃうのには、危惧感を覚える。という、『でもそれが……』の部分を掬っておきたいなぁ、と、思うのでした。

 普段は仲間内で模擬戦的に討論はやってるのですが、龍児さんとも議論できたのは、プラスになりました。オバチャマとお話できて、ボク、とっても嬉しかったです☆(<オチはコレで正しいのか……?(多分違う))
【2007/12/08 23:01】 URL | 悠 #mQop/nM.[ 編集]
●だよ~。
知らない間に発売されてる。
本屋で見つけたら、買うね。
ただ、探し物が苦手なので、見つからなかったらメールして確実にあるところを聞き出すかもしれません(笑)

私もあなたと同じく、家族に溺愛(&放任)されて育ってきたので、気持ちは、なんとなくだけど、わかります。
愛されているからこそ、言えないことってあるよね。
それが、無条件の愛であればあるほど。
ただたんに言えないだけのときもあれば、わざわざ言葉にするのが無粋なように感じる時もあり。
どんな自分でも、認めてくれるとわかっているから、逆にそれに甘えて、どんな自分にでもなっちゃいけないんじゃないかと律してしまうような。

よくわかんなくなってきたので、寝るね。
おやすみ。

【2007/12/15 00:56】 URL | ● #-[ 編集]
>●さん
 えっとね、吉祥寺だと、啓文堂の教育の棚に1冊だけありました(笑) パルコのリブロは売り切れちゃった模様。どうせなら、本屋さんで注文してもらえると、宣伝にもなって嬉しい(笑)

 そして、流石に似た思考回路なだけあって、読みが的確。
 最後の律する論なんかは、自分にはすごく当てはまるんではないかと、思います。

 おやすみー
【2007/12/15 22:55】 URL | 悠 #-[ 編集]
買いました。(阿佐ヶ谷 書原)
最初の数行からすでに泣けてしまいました。ごめんなさい。

大切な友人がゲイですが、カミングアウトはされていません。
ひょんなことから本人の意図に反して(おそらく)アウティング
されてしまったので、彼がゲイであることを私が知っていることは
たぶんわかっていると思いますが、そのことにはお互いに一切
ふれません。
実はずっと前から彼がゲイであることは気づいていましたし、
私が気づいていることを彼もわかっていて、それはそれでOK
という感じでお互いに接してきたような気もします。
なので、思わぬことからアウティングされて、かえってそれに
触れにくくなったというのもあるかもしれないし、彼の中では
実はカミングアウトはどうでもよいことだったのかもしれないし、
逆に絶対触れたくないのかもしれない。
まったくわからないまま、なんとなくときおりちょっと居心地の
悪さを感じながらも、やっぱり大切な友人であることには変わり
ないなあと思う今日この頃です。

何書いてるかわからなくなりました。すみません。
本、とてもよかったです。

【2008/01/02 11:05】 URL | Ka. #YrGnQh/o[ 編集]
>Ka.さん
 初めまして、ご購入ありがとうございます。
 アウティングで知ってるんだけど、なんとも言えない…… って、非常に難しいですよね。
 僕も大学のゲイ友でも、共通の知人に対して『えーっと、どこまで言ってよかったんだっけか……?』とか、しょっちゅう迷います。

 こうするコトが正しいって答えがあるものではありませんが、Ka.さんの“やっぱり大切な友人であることには変わりないなあ”という気持ちが、お互い大事にし合える関係が続けられるといいですね。と思いますです。

 感想、ありがとうございました。
【2008/01/03 00:51】 URL | 悠 #-[ 編集]
こんにちは。
こちらに書いてよいのか迷いましたが、
砂川秀樹さんへお伝え頂けたら大変ありがたいです。

この本の記事を当ブログに書かせてもらいました。
自分本位のコメントで、本の内容を誤解されるのは不本意なので、本文を引用させていただきました。
ご都合が悪い点がありましたらお手数ですがご一報下さいませ、修正なり削除なりいたします。

誰もが住みよい世の中になることを願っています。
【2008/05/12 17:08】 URL | 気まぐれ猫 #MDo56pwE[ 編集]
>気まぐれ猫さん
 お返事遅くなりましたが、確かにお伝え致しましたよー。
 本人のウェブサイトもあるので、よかったらメールでも送ってあげてくださいね。
【2008/05/18 01:52】 URL | 悠 #-[ 編集]














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クリスマスですね~、みなさんはどんなクリスマスを過ごされたのかこれからアップされる記事を見るのが楽しみです。 僕は、タイトルどおり「あの子は、イブなのに自分磨きだなんて、カ・ワ・イ・ソ・ウ(ニヤリ)」て思われる方もいるかも知れませんが、そのとおり、王子?... 明日はもっといい日に【2007/12/25 02:14】
-----たくさんの手紙たち。  http://www.kanshin.com/keyword/1290026[こちらのKW]で… 悠@悠悠自的。の関心空間【2008/03/25 16:15】
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